美野島の歴史②

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歴史
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今度は実際に歩いて調べた美野島のスポットについて紹介します。

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筑前蓑島駅

旧国鉄筑肥線の廃駅、「筑前蓑島」駅跡です。美野島公園の外周の歩道に沿って南下していくとひっそりと残っています。

ファイル:筑前簑島駅(1983).jpg
Wikipediaより。1983年撮影

美野島公園と石碑

美野島南部に位置する広々とした公園です。
2011年3月中旬に再整備されるまでは木々が鬱蒼として目隠しになっており、ホームレスのテントなども点在して少し治安が悪かったようです。
なので天神の警固公園と同様に、死角を無くし見通しが良い様に整備されたようです。
公園の北には美野島の歴史を伝える碑があります。

南にはゴルフ練習場とパナソニック工場が隣接
過去の様子。引用:https://www.midorimachi.jp/window.php?src=images/park/206027.jpg
美野島の由来
蓑島の碑

美野島四神

百年橋通りをまたいで北にある美野島1~2丁目には通称「美野島四神」と呼ばれる4つの神社があります。
過去に今の場所に移築されたものもあるようです。

厳島神社

少しわかりにくい場所に入り口があります。
街中に隠れた聖域といった趣がある不思議な場所です。
厳島神社は海の女神である宗像三女神を祀っている神社ですので、美野島が元々海に面していた歴史と関係していそうです。

萬世太平 五風十雨とあります。
昭和六年 四月吉祥日とあります
右の小祠は薬師如来が祀られています。

弁財天宮(辨財天宮)

弁財天(弁天様)も水に関連する神であり、宗像三女神の一柱である市杵島比売命と同一視される事もありますので、厳島神社と同様の由来が想像されます。
拝殿はこの公民館の裏側にありますので回り込む必要があります。かなり狭いので足元注意!なぜこのような作りになっているかは不明です。

辨財天宮 昭和十一年 六月吉祥日とあります。
住吉宮式年遷座祭記念 とあります

奉寄進 
池野初太郎 狩野甚平   ○本○○
狩野甚兵衛 青木五之助  古屋熊吉
古屋七三郎 橋本仙太郎  平山繁
狩野伊之吉 狩野俊平   古屋○次郎
小野辰次郎 古屋萬平   木塚○三郎
青木新太郎 古屋勝次郎   以上不順
平山末吉  古屋慎太郎  三?海?書?  石工 持丸制作

拝殿です。
敷地内にある碑

公民館の右に石碑が2つありますが、左は表面が削れており判読できませんでした。

右の石のアップ
タラークの種字と、十三蓮花文もうっすら見えます
BonjiTrah.png
タラーク
BonjiSu.png

右は虚空蔵菩薩または宝生如来の種字のタラークと思われる梵字が彫られています。宝生如来の信仰は聞かないので虚空蔵菩薩の信仰の名残かもしれません。
弁財天の種字のソが彫られていれば本尊と一致している事になるのですが、形が異なるようです。
もしかすると、この地で過去に十三仏の種字が刻まれた石塔婆が並んでたのが、神仏分離などで打ち捨てられ、後にその一部を回収したとか、あるいは全く関係ない場所で行われていた他の信仰に由来するものを回収して敷地内に寄せ集めただけかもしれません。

菅原神社

セブンイレブンの後ろに隠れている、静かな雰囲気の場所です。
菅原道真公を祀る天満宮のようです。右に見える石碑には猿田彦の名が刻まれています。
もしかすると元々は菅原公を祀っていたのではないかもしれません。
以下のような情報もあります。住吉神社創建は菅原公の時代より古いようです。

>歴史は定かでは有りませんが、長老や神官の話では、住吉神社と同時期に建てられたものとか。
>毎月25日に月例祭が催され、住吉大社より神官が来られ神事が行われています。
>住吉大社の神官が、菅原神社の神官も兼務されているとの事です。
(引用:https://hakatanomiryoku.com/column/%E7%BE%8E%E9%87%8E%E5%B3%B6%E5%95%86%E5%BA%97%E8%A1%97%E5%8D%9A%E5%A4%9A%E5%8C%BA%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%80%8C%E8%8F%85%E5%8E%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%9C%A8%E3%82%8A%E3%81%BE

明治十七年 甲申十一月吉辰(めでたい日)
猿田彦大神と刻まれた碑

出雲大社(出雲神社?)

美野島商店街の近くにあるこじんまりとした祠です。
出雲大社ですが、由来はよく分かりません。
ちなみに、成人男性は余裕で頭を打つくらい鳥居が低いので気をつけましょう。

>以前はもっと奥にありましたが、お告げにより今の場所へ出てきたそうです。
(引用:http://minochan.info/now/burari/

延命地蔵(大光菩薩)

どのサイトでも延命地蔵として紹介されていますが、お堂内の石碑を見ると大光菩薩と刻まれていました。同体としての尊名なのか別に祀られているのかは不明です。
十三仏、不動明王、水子地蔵も祀られています。
水子地蔵の後ろにあった大木が近年切られており、そのせいか分かりませんが、他の場所よりやや地面が水はけの悪そうな感じです。

宝暦五年孟春立 大光菩薩 沙門長珪 と記されています。左の木板には延命地蔵菩薩と記されています。
不動明王立像です。左に昭和五十九年十二月改築 とあります。
右から水瓶観音、空海像、空海像、小さな物が複数、毘沙門天、そして十三仏が続きます。
十三仏の続き。
十三仏の続き。
十三仏の続き
十三仏、左の僧侶像には「御本尊様廿年御○(?)」と書かれています。本尊は地蔵尊なのでこれは他所から持ってきたのでしょうか?この手前には水子地蔵が座しています。
お堂の隣にある由来のわからない石

本町新道記念碑(紀年碑?)

延命地蔵尊の入口にあります。
Wikipediaには「大正時代には住吉地区の開発が進み、住吉新町、簑島本町、簑島新町といった新町が誕生して住宅、商店が増えたことで当地も都市化が進んだ。」とあります。裏面を見ると大正時代に建立されたもののようなので、この周辺が蓑島本町の通りだったのでしょう。

断片的に読めるところのみを書いていくと

○○○○○○○○
本道路ハ地方發展促進ノ爲ノ都市計書ヲ待ツ
○○(言偏)委員相葉?○百(憂?)○會ノ協賛ヲ得テ開設落?成?
テ其延長参百余間而シテ其敷地ハ左記ノ如ク無
償提供シタルモノ也
大正十三年一月十五日竣工
○○○○○○○○○
○○〇〇○○○○○ 古屋○○一 十○坪
○○〇〇○○○○○ 古屋○○一〃十七坪
○○〇〇○○○○○ ○○○○一〃四○坪
○○〇〇○○○○○ ○○○○一〃一○坪
○○〇〇○○○○○ ○○○○
(中下段横書き)
委員?
(最下行)
町總代
○○○○
本?塚○○
狩野甚兵衛
古屋七三郎?
古屋七之助
青木新太郎
狩野甚平
平山末吉
橋本仙太郎
狩野○○
古屋○○
古屋○○


本道路は地方発展促進の為の都市計画書を待っている○○委員(と?)「相○○百○会」の協賛を得て開設落成してその長さ550mくらいに加えてその敷地は左記のように無償提供したものです。
大正13年1月15日竣工
(以下、提供者の名前が続く)

解読が正しければ、美野島の地域発展を願って、そういう都市計画が来るように(あるいは来るので?)地元の有志で土地を寄付しあって道を開通したという事ですね。
また、550m余りの長さを延長したと考えると「美野島通り」あるいは「みのしま連合商店街通り」が元々「本町通り」だったのが、石碑だけここに移設されたのかもしれません。資料がないので推測にすぎませんが…。
↓本町通り該当部分予想図

二見ヶ浦汐入所碑

美野島郵便局近くの那珂川沿いにある石碑。
読めそうな所だけ読むと、
”安永二癸○○  古屋清次郎
        古屋市(寅?)○
        永富孫市?
        古屋七郎次
二見浦潮井見?所納
        古屋○兵衛
三月吉祥日   ○田○次○
        池田○○○
        吉松大兵衛

とあります。
村の代表が二見浦(二見ヶ浦)にお潮井(お汐井、清められた砂)を授かりに行き、地元の川に納めて清めたというような風習があったらしいので、それについての記念碑かもしれません。
糸島や伊勢に二見浦があり、伊勢がお汐井取りの本家ですが、伊勢まで行くのは大変なのでもしかすると糸島の二見浦のお汐井かもしれません。

庚申塔、阿弥陀板碑

セブンイレブンの東隣にひっそりと存在しています。

庚申塚。庚申尊天と刻まれています。

庚申信仰といえば青面金剛ですが、不自然な上部スペースに青面金剛の梵字が見えなくもないです。でもこれは自信がありません。

阿弥陀板碑

すぐ隣にある阿弥陀板碑です。ネットではこの2つの石碑について猿田彦碑と言及されているものしか見つけられなかったのですが、なぜこれが阿弥陀板碑だと思ったのかというと・・・

阿弥陀板碑の解読

文字を読み取ると、上部にキリーク(フリーヒ)の梵字と、その左右に乾・坤、其の下に南無阿弥陀佛と刻まれていますので阿弥陀仏碑とわかります。また日付と、僧侶の名らしきものが刻まれています。
南無阿弥陀佛の右隣にも何か書かれている様ですが判読は不能です。
乾・坤は北西・南西を表し、阿弥陀仏は西方仏です。この板碑は東に向いており、板碑に向き合うと必然的に西を向く事になりますので、この碑に向かい、西の阿弥陀仏に礼拝をしていた様子が浮かびます。
また、乾坤は陽と陰を表しますので、まじない的な意味も込められているかもしれません。
マイナーな刑場があった所には庚申塔や供養碑がある事が多いそうです。阿弥陀板碑が供養碑を兼ねているのなら、もしかしたら古くは刑場跡だったのかも?しれません。

謎の宗教施設

施設ではなく、民家に鳥居を置いている可能性もあるので場所は記載しません。
額には大杉大神、嶽の森大神、杉若大神と記されています。

おまけ:住乃江荘跡碑

住吉エリアに入りますが、ANNEX住乃江、アーバンハイツ住乃江というマンションの駐車場内に「住乃江荘」と刻まれた立派な石碑があります。
住之江は「澄んだ入り江」という意味らしく、また、万葉集にも出てくる大阪の地名である住吉(すみのえ)の事でもあります。もちろん、これは住吉大社の「住吉」と同じです。
ここが海沿いだった頃に荘園があったのでしょうか?
かつてここが住吉神社の社領だった時はhttps://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/getdocrd.pl?tn=28&ti=6304006&h=./history/w11636081781_30641&ch=3&p=param/soue/db_param&o=21&k=20&l=&sf=0&so= 
こちらの荘園データベースにもあるように住吉庄(すみのえしょう)という名前だったようです。
庄と荘は同じ意味を含んでいますので、住吉庄(すみのえしょう)→住之江庄→住乃江荘、という風に(表記が転じた)当時の荘園の名前で石碑を残したのかもしれません。
ちなみに、このあたりは以下のような地名だったそうです。

【住ノ江町】
昭和12~37年の福岡市の町名。もとは福岡市住吉・春吉・高宮の各一部。蓑島橋通りの通称は、昭和41年那珂川に架かる蓑島橋が架けかえられ、百年橋とよばれたことから、現在の通称百年橋通りが使われるようになった。昭和37年の世帯数268・人口1,119。同年那の川1~2丁目・清川1~2丁目・高砂1~2丁目となる。
[角川日本地名大辞典 福岡 P747]

これらからまとめると、以下の事が言えます。

この地には住吉大社ゆかりの、住吉庄(すみのえしょう)という名前の古い荘園があった。
現代に入り、住吉の古い読み方である「すみのえ」を取って「住ノ江町」という地名もその周囲に誕生した。
荘園であった「住吉庄」の表記を変えて記念した石碑を建てた。あるいは「住乃江荘」という全く別の近世以降にその地にできた建築物があって、それを記念した石碑を建てた。

まとめ

美野島には歴史を感じる興味深いスポットが沢山ある事がわかりました。
ですが、それは余り周知されずに街の片隅に埋もれている様でもあり、それは少し残念に思いました。
案内板などを設置すればもっと色んな人の関心が向くのではないかと思います。

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コメント

  1. […] 美野島の歴史②今度は実際に歩いて調べた美野島のスポットについて紹介します。筑前蓑島駅旧国鉄筑肥線の廃駅、「筑前蓑島」駅跡です。美野島公園の外周の歩道に沿って南下してい […]

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